IL2FB+AEP日記

2005年6月20日(月)
初登場の敵機体出現!!

1941年8月29日 本日の作戦は、saarenpaa空域をパトロールし、敵飛行機を発見次第、撃破せよ。との命令が下る。
出撃機体は、8機編隊のI-16と、2機編隊のMiG、それに2機編隊のI-153である。
目標地点のsaarenpaa空域をパトロール中、フィンランド空軍の初登場の4機編隊のフィアットG50戦闘機に遭遇、さらに後続機として、4機編隊のフィアットG50戦闘機が迫ってきた。I-16 8機編隊とフィアットG50戦闘機8機編隊との空中戦の始まりである。フィアットG50戦闘機はイタリア産の機体で、1939年にフィンランドに輸出された35機のG50は終戦までソ連機と戦っている。 私は高度を取り、いつもの一撃離脱戦法をとるべく、1機のフィアットG50戦闘機に狙いを定め、敵6時の位置に付けた。敵機は、回避するため上昇、そこをすかさず20mmを掃射し、1機のフィアットG50戦闘機の撃墜に成功する。友軍機も、敵機全機の撃墜に成功した模様。
一方、2機編隊のI-153はまたしても優雅に飛行を続けていた。また2機編隊のMiGは、フィンランド空軍の、またしても初登場の、1機のブリストル・ブレニムを追っていた。
ブリストル・ブレニムは、イギリス産の機体で、開発当時イギリスのどの戦闘機よりも高速ということで大きなインパクトを与えた高速旅客機"Britain First"こと
ブリストル142をベースに開発された軽爆撃機である。1943頃までイギリスで使用されたほか、カナダ、フィンランド、ユーゴスラビア、ルーマニア、ギリシャ、トルコ等で使用された。
ブリストル・ブレニムは、Migに追われながらも、自軍飛行場へ着陸、2機編隊のMiGは、タキシング中のブリストル・ブレニムを狙って、機銃を掃射!撃破にはいたらなかったものの黒煙を上げている。私はそれを見届けて、基地へと帰還した。戦果としては、1機のフィンランド空軍機Fiat G-50 SEを撃墜した。最近フィンランドとの交戦が続いている。ドイツ軍はどうしているんだろう?

2005年6月19日(日)
ダグラスC−47スカイトレイン輸送機 再登場!!

1941年8月27日 本日の作戦は、keila付近への偵察機の護衛だった。
6機編隊のI-16と、1機のPe-2が出撃である。 敵飛行機の遭遇もなく、無事偵察任務を終えて、基地へと帰還中、MAPを開いてみると、友軍機である4機編隊のSB-2M(爆撃機)が、フィンランド空軍の、4機編隊のグロースター グラディエーター戦闘機に追撃されていた。更に、4機編隊のグラディエーター戦闘機もtallin方面へ飛行している模様。私は、グラディエーター戦闘機を迎撃すべく、針路を変更した。グラディエーター戦闘機は、NACA 型カウリング、片持ち式の単支柱の主脚、密閉風防、四連装機銃など革新的な装備を持つ一方、複葉機の運動性と操縦性を引き継ぎながら中途半端な単葉機よりも高速であり、複葉育ちの保守的パイロットに歓迎されたそうである。しかし、I-16にとってカモな機体であった。
tallin上空で敵機に追いつき、まず1機のグラディエーター戦闘機に20mmを浴びせる。すると編隊から離れていく様であった。
私は残った3機のグラディエーター戦闘機を距離500mで次々と撃破し、離脱した残りのグラディエーター戦闘機も、距離460mで撃破に成功する。戦果として、敵グラディエーター戦闘機4機を撃破し、作戦終了となる。

1941年8月28日 本日の作戦は、本拠地であったtallin飛行場を離れ、フィンランド湾中央に位置するlavansaari飛行場へ移動せよとのことだった。8機編隊のI-16と、6機編隊のダグラスC−47スカイトレイン輸送機が出発した。ダグラスC−47スカイトレイン輸送機は、大戦当初から終戦まで連合軍の行くところには必ずC−47が輸送任務で飛び回っており、連合軍司令官アイゼンハワー元帥は大戦での連合軍勝利の重要な道具のひとつとしてC−47をあげている。フィンランド湾上空にさしかかると、ドイツ軍の6機編隊Bf-109に遭遇、I-16が迎撃に向かった。結果、私は1機のBf-109Eを撃墜、友軍機も敵機全機の撃破に成功する。ダグラスC−47スカイトレイン輸送機は、無事lavansaari飛行場へ到着し、作戦成功となる。

2005年6月18日(土)
Starshiy Leitenant に昇進する。

1941年8月25日 本日の作戦は、敵の増援部隊が、列車にて移動中、sauye付近の目標を攻撃せよ。
3機編隊のI-16だけの出撃であった。目標までの距離は、18kmと、とても近い。目標地点に到着、列車の線路に沿って降下すると、目標の列車を発見!!直ちに攻撃を開始し、列車車両11台の破壊に成功する。作戦成功の無電が入り、そのまま基地へと帰還するのであった。

1941年8月26日 本日の作戦は、敵空
域Puistolaへ向かう爆撃機を護衛せよ。とのことだった。

6機編隊のI-16と、3機編隊のI-16、それに3機編隊のカーチスP−40ウォーホーク戦闘機、計12機の出撃であった。
離陸直後、敵2機編隊のカーチスP−36ホーク戦闘機が出現し、I-16が迎撃に向かい、全機撃墜する。
その後目標地点に向かうのだが、距離は、96km、フィンランド海峡を越える長い道のりであった。肝心の友軍機に、爆撃機がなぜか出撃してこなかった。どうやらこの作戦、遊覧飛行となりそうだ。
案の定、目標に到達する前に、作戦成功の表示がでる。それを受けて、3機編隊のP-40は、基地へと帰還した模様である。
私はとりあえず目標地点を通過し、そのまま飛行場へ無事着陸する。
今回の作戦で、階級が、Starshiy Leitenant へ昇進することになった。

2005年6月17日(金)
Bf-109との大空中戦!!

1941年8月24日 
本日の作戦は、Tapaへの爆撃機護衛任務である。出撃したのは、6機編隊のI-16・2機編隊のI-153・1機のPe-3・9機編隊のSB-2M(爆撃機)・4機編隊のホーカー ハリケーン戦闘機・2機編隊のホーカー ハリケーン戦闘機であった。総勢24機もの豪華顔ぶれである。初登場のホーカー ハリケーン戦闘機は、1935年に初飛行したアメリカのホーカー社の戦闘機である。同社のフュアリ複葉戦闘機を単葉化する試みから完成した機体だそうだ。飛行場を離陸して、SB編隊を先頭に、ハリケーン、I-16が護衛に付く。しばらくすると、敵、4機編隊のBf-109と遭遇、SBが早速狙われた。
迎撃に向かうハリケーンとI-16,私も高度3000に上昇し、迎撃を試みる。するとさらに、4機編隊のBf-109が出現した。8機ものBf-109を相手に、大空中戦が始まった。私はさらに、高度4000に上昇し、まず1機目のBf-109を距離600mで撃墜、さらに煙をはいて降下中のBf-109を追い、距離500mで撃墜する。
一撃離脱戦法を取るため、上昇すると、距離1800mにBf-109を発見!20mmが当たらないのをわかっていて、掃射してみると、どうやら命中して墜落していった。続いて、4機めのBf-109を追う。6時の位置につけ、追従すると、敵は急降下に入った模様、一気に距離が30mと迫ったところへ、20mmを掃射!!4機目の撃墜に成功する。
この激戦の最中、Pe-3は、基地に帰還した模様、またI-153も優雅に飛行していた。友軍機もすべてのBf-109を撃墜し、残った6機のSB爆撃機も作戦に成功した模様である。4機のBf-109Fを撃墜した結果、「order of patriotic War 2nd Class」を受賞する。今回の作戦は、友軍機の活躍もあって、敵、6時の位置に付けるのが、たやすかったようだ。

2005年6月16日(木)
Bf−109には、かなわない

1941年8月21日  本日の作戦は、Ayegviiduへの爆撃エスコート任務である。
8機のI−16編隊・4機のI−16編隊・1機のMiGが出撃した。離陸後まもなく、先行していたMigが、敵4機編隊のBf−109に遭遇あっという間に、迎撃され、黒煙を吐きながら、墜落していく。ww 私は、高度3500に上昇してこれを見守っていた。
続いて、4機編隊のBf−109に遭遇、I−16が迎撃に向かう。私は高高度をとりながら、撃墜する機会をうかがうが、タイミングが取れず、友軍機の支援には至らず、敵機はすべて友軍機が撃破してしまった。作戦終了の無電が入り、私は、基地へと帰還、すると帰還途中で敵地上目標を発見!!高度2500から目標へ向けて降下、車両3台の破壊に成功する。
無事任務を終えて、飛行場へ着陸する。それにしても最近、護衛任務が多いなあと思う。また、敵の戦闘機の熟練度が増したせいか、Bf−109を最近、撃墜できなくなってきている。高高度からの一撃離脱戦法は、離脱に失敗し、オーバーシュートすると敵の格好の標的になってしまうからだ。
早く格闘戦のできる機体に搭乗したいなあと思う。

1941年8月22日 8月22日は私、gangiyouの誕生日である。(関係ないか^^)
本日の作戦は、muurala付近の敵輸送部隊への攻撃であった。3機のI−16編隊・2機のI−16編隊、そしてめずらしく3機のポリカルポフ I−153チャイカ戦闘機編隊が登場した。今回の目標までの飛行距離は、93キロメートルと非常に長いものであった。やっと陸が見え始め、地上目標を索敵すると、敵列車車両を発見!直ちに降下を開始し、列車車両を20mmで、8台破壊する。続いて、敵輸送部隊を発見!1台の破壊に成功する。続いて森の中に、地上目標を発見!降下して、攻撃するも、高射砲で被弾し、機銃がジャミングしてしまう。機体を確認するとラダーに穴があいている。作戦成功の知らせを受け、私は、基地へと帰還したのだが、3機のI−153編隊は、目標地点に到達する前にどうやら基地へと引き返した模様。今回の作戦は、フィンランド海峡を越える、航続距離の長い飛行となった。

1941年8月23日 本日の攻撃目標は、敵の輸送部隊を、鎮圧することであった。
3機編隊のI−16と、6機編隊のMIG、それに1機のPe−2が出撃した。
国境を越え、中間地点に敵輸送部隊を発見!高度1500から降下し、目標を破壊、さらに、次の地上目標を確認し、高度1500より降下、2回にわたる攻撃航程をへて、目標の破壊に成功する。MAPを開いて、索敵すると、自軍飛行場へ向けて、4機編隊のJu87(ユンカース Ju87急降下爆撃機)と、2機編隊の、P−36(カーチス P−36ホーク戦闘機)が確認された。私はあわてて針路を自軍飛行場へ向け、エンジン出力110%で追うのだった。自軍飛行場上空に到達したとき、すでに、MIGが応戦している最中であった。Ju87は、高高度で飛行していたため、私はP−36に狙いを定め、攻撃を開始した。P−36は当時ヨーロッパで最新鋭だった ハリケーンや メッサーシュミットBf109に性能で劣っていたそうで、I−16にとって、撃墜できる可能性の高い機体であった。私は、友軍機が迎撃しているにもかかわらず、2機編隊のP−36を格闘戦の末2機とも撃破した。久しぶりの飛行機の撃破であった。ところでP−36はアメリカ産の機体で、青いマークがついている。ドイツ軍のものではなくフィンランド国籍
のものである。今日は、地上目標6台の破壊と、敵戦闘機2機の撃破で、充実した作戦内容であった。

2005年6月15日(水)
敵戦闘機、撃破できず・・・。

1941年8月19日 本日の作戦は、kaalepiへ向かう偵察機の護衛任務である。
6機編隊のI−16と、LaGG2機編隊、Pe−3(ペトリャコフPe-3双発戦闘機)1機と、SB(爆撃機)4機編隊の出撃である。私は敵戦闘機を、警戒し、高度5000まで上昇する。すると6機編隊のBf−110と遭遇、私は後方から遅れてきた2機のBf−110に向け急降下、一撃離脱の戦法をとったが、ブレイクされてしまう。
一方LaGG2機編隊は、敵飛行場付近で、4機のB−239(ブリュースターB239バッファロー/アメリカ産)と交戦中、また4機編隊のSB(SB2M−103)は敵地上目標へ、爆弾を投下していた
私は1機も撃破できないまま、ミッション成功となり、基地へと帰還するのであった。

1941年8月20日 本日の作戦内容は、情報部が、敵がtallinへ本日攻撃する情報を入手した。
制空権を確保し、敵戦闘機を撃破せよとのことであった。
I−16 6機 3機 3機 の編隊計12機と、Pe−2(爆撃機)1機の出撃である。
tallin地域を飛行中、map画面にて確認すると、6機編隊のBf−109が、tallinへ向け飛行中であった。
まず、Pe−2が狙われたが、なんとか敵の追撃をかわし、飛行場へ無事着陸に成功した模様である。
tallin飛行場へ出現したBf−109は、次々とI−16と、高射砲によって迎撃されていた。
私は高高度からの攻撃を、試みるが、1機も撃破できない。ついに友軍機が敵機全機撃破に成功したようだ
結局前日に続いて、1機も撃破できず、基地へと帰還する。

2005年6月14日(火)
偵察機護衛は失敗に終わる。

1941年8月18日 本日の作戦は、kaalepiへの偵察機を護衛する任務である。
6機編隊のI−16と、偵察任務のPe−2が1機の出撃である。私はI−16編隊から距離を置き、高度4500に上昇、敵戦闘機を警戒する。すると敵6機編隊のBf−109に遭遇,敵は自分より、低高度を飛行している。私は、バンク・急降下して敵機を追う。
そして、2機のBf−109Fの撃墜に成功!索敵すると、もう1機黒煙を吐いているBf−109に遭遇、楽々敵6時の方角につけ、20mmを掃射、撃墜に成功する。
敵飛行場からは、初登場の、2機のFw−189(フォッケウルフ Fw189ウーフー偵察機)が飛行していた。この機体は、低翼単葉で双胴という奇異な形の航空機である。
Fw−189は、そのまま基地へと帰還した模様である。
Pe−2が撃墜されたにもかかわらず、ミッションクリアとなり基地へと帰還となった。
相変わらずBf−109が出現しているが、I−16の運動性能を考慮して、高高度からの一撃離脱戦法
を取らざるを得ないようである。

2005年6月13日(月)
2級金星勲章を授与される
1941年8月16日 本日の作戦は、mallaveri地域の、敵鉄道駅を攻撃する爆撃機を護衛せよ。
6機のI−16編隊、2機のMig編隊、4機のYak編隊、9機のPe−2編隊である。Pe−2は、データベース(Keyのミリタリーのページ当サイトリンク)によれば、第二次大戦中で最も優秀な双発高速爆撃機のひとつであるとのことだった。計21機もの出撃であった。離陸して高度5000を飛行中、低高度を飛ぶ敵4機編隊のBf−109Eと遭遇、ただちに旋回・急降下してこれを追い、4機全ての撃破に成功する。
続いて、目標地点近くでまた、4機編隊のBf−109に遭遇、追従を試みるが、敵機の巡航速度が速く、追うのを断念する。ミッション成功の知らせを受けて、飛行場へ機体を向けるが、Pe−2やYakも着陸態勢に入っており、飛行場を旋回しつつ、着陸許可を待つも許可がおりない。
しかたなく、Yak1機が、着陸態勢に入った後を追従して、強行着陸に成功する。

1941年8月17日 本日の作戦は、Ayegviidu付近の地上目標への攻撃である。
3機のI−16編隊と、6機のI−16編隊の、計9機の出撃である。離陸後まもなく、2機のBf−109Fに遭遇、1機撃墜に成功する。続いて、地上攻撃目標を索敵すると、敵列車車両を発見!高度2300
から降下し、20mmを浴びせ、目標の列車車両11台の破壊に成功する。続いての地上目標は、
移動している車両だった。高度2700からゆっくりと降下し、ロケット弾を発射!6台の車両の破壊に成功する。
ところで、I−16は正式名称「ポリカルポフI−16」というそうで、第二次大戦中頃まで対地攻撃や地上支援などの任務に投入されているのである。地上戦向けの機体だそうだ。
今回の作戦で、2級金星勲章をいただく。
2005年6月12日(日)
爆撃機全機壊滅

1941年8月14日 本日の作戦内容は、Tap地域の敵鉄道駅へ向かう爆撃機のエスコート任務である。出撃機は、6機編隊のI−16と、4機編隊のI−16、それに9機のDB−3(長距離爆撃機)、計19機である。
離陸直後、8機ものBf−109と遭遇、次々とDB−3に襲い掛かる。必死に応戦するI−16だったが巡航速度の遅いDB−3は次々と墜落していく。一方、私はエスコート任務にもかかわらず、これを高高度から、見守ることにした。なにしろ8機ものBf−109なんか相手にできないからである。そのうち11時方向から敵He−111H2編隊4機を発見!!これはI−16にとって格好のカモだ。私は敵機の高度まで上昇し、6時方向から追従、4機編隊のうち3機の撃墜に成功する。DB−3の方へ視点を変えると、Bf−109に追撃され、すべて撃墜されてしまったようだ。
これではエスコート任務ではないでないか!!と腹立ちを覚えつつも自分の生き残りに必死なgangiyouであった。
なぜかミッション成功の表示がでて、基地へと帰還する途中、撃墜し損ねた1機のHe−111と遭遇、敵はゆっくりと降下中
だったため、楽々6時の位置につけ、20mmを掃射、撃墜する。続いて地上に敵列車車両を発見2回にわたる攻撃の末これを破壊、その後基地へと帰還するのであった。
1941年8月15日 本日の作戦は、kehra地区への爆撃機エスコート任務である。今回のエスコート任務は、前回失敗しているだけに成功させたいと思った。出撃機体は、6機のI−16編隊と、9機のPe−2編隊(爆撃機)である。目標地点への、中間地点で、2機の敵機B239(ブリュースターB239バッファロー、フィンランド空軍らしい、アメリカ産)に遭遇、I−16がこれを撃破する。
私も1機のB239を仕留める。そしてついにPe−2が爆撃に入り、成功した模様、私の方は、続いて2機のBf−110Cに遭遇し、これをなんなく撃破に成功する。どうやらI−16にとって、Bf−110と、爆撃機は、カモになってしまうようだ。しかし相変わらず、Bf−109シリーズには、旋回性能・巡航速度の面で劣っていてなかなか撃墜できない。。無事Pe−2は、基地へと帰還し、エスコート任務は、成功する。

2005年6月11日(土)
Douglasの機体情報判明

1941年8月13日 本日の作戦は、Suvisaaristoへの爆撃機エスコート任務である。
ところで前回登場した、「Douglas」は、ダグラスC-47“スカイトレイン”輸送機(アメリカ産)であることが、判明した。kukulcanBlood(当サイト相互リンク)のHPで、TKB_Giaqさんに教えていただきました。
作戦に戻るとしよう。出撃機体は、I−16 15機と、P−40 4機編隊であった。目標地点までの中間辺り
で、敵戦闘機Gladiator(戦闘複翼機)4機編隊と遭遇、低高度を飛行している。私は高度2800と、高度を
取っていたので、交差後、反転・急降下、1機のGladiatorを追尾、距離300mまで追い込み、20mmを掃射
撃墜に成功する。他のGladiatorは、友軍機によって、撃墜された模様である。続いて、敵戦闘機、P−36カーチス戦闘機(アメリカ産)4機編隊と遭遇、1機に追従しょうとする。しかし、わたしのI−16より運動性能が高いようで、簡単にブレイクされてしまう。敵機は友軍機に任せてみると、簡単に全機撃墜してくれた。
ミッションクリアの表示が出て、エスコート任務(なぜか味方爆撃機は登場しなかったのだが・・・。)終了し、無事基地へと帰還するのであった。今回・前回の作戦でソ連軍・ドイツ軍の機体にアメリカ産の機体が登場したのは、不思議なことであった。1941年当時は、アメリカのメーカーが飛行機の売り込みに必死だったことがうかがい知れる。

2005年6月10日(金)
ソ連邦金星勲章を受章!!

1941年8月11日  本日の作戦は、Ivanovka地域の地上軍を防衛することである。
I−16 7機編隊とI−16 2機編隊それに、U−2VS1機が出撃である。目標地点通過まじか、ドイツ軍Bf−109 4機と遭遇、
敵6時方向に付け、まずはBf−109F 1機撃墜する。交戦中にU−2は早々と撃墜された様
である。続いて付近を索敵すると、高高度に敵爆撃機Ju−88V−4 の6機編隊を発見!これを追いかけるため高度3400に上昇、敵爆撃機は巡航速度が、I−16よりも遅いようで、じりじりと距離が近くなってきた。
まず、1機目を距離1200mから20mmcanonを掃射、撃墜に成功する。こんな状況にもかかわらず、敵爆撃機は編隊を崩さず飛行を続けている。これ幸いと、2機目を距離800mから、3機目を400m、4機目を500mから20mmを浴びせ、撃墜する。
一旦離脱し、反転して、5機目を距離1700m、6機目を1000mから20mmを掃射、撃墜する。なぜこんなに遠くから射撃するかというと敵爆撃機の後部機銃掃射を恐れているからだ。
続いて残りの敵戦闘機Bf−109 3機と遭遇、1機撃破し、低空で飛行していたもう1機も撃墜に成功する。
戦果として、敵戦闘機3機、爆撃機6機、計9機もの撃墜に成功するのであった。
この結果、ソ連邦金星勲章を受章したのだが、おまけにレーニン勲章も授与される。このレーニン勲章はFB日本語版の日記では、負傷入院したときに授与されたのだが、授与される基準が今ひとつわからない。任務内容の画面に一切記載されないのだ。
印象に残ったのは、初登場のJu−88である。こうした爆撃機が登場してくれると、I−16にとって格好のカモになる。
今回の作戦はこれまでで最高の撃墜数になった。

1941年8月12日 本日の作戦内容は、Kirovsk飛行場から、Tallin飛行場への移動であった。8機のI−16とDouglasとマークがある6機の飛行機が出撃である。Douglasは初登場であったため、ゲームページのView Objectsで検索してみるのだが、一切記載されていないようである。謎の機体である。
どうやら爆撃機のようだが、情報が皆無であった。試しにぐぐってみるのだが、該当するような情報がなかった。どなたか知っている方がいましたら当HPのBBSにてご教授ください。計14機での出撃となったが、私は敵戦闘機を警戒し、高度5000にて飛行をする。案の定、敵機体、Bf109 4機と、Bf−110 2機と遭遇する。私は高度を維持しながら、戦況を眺めてみることにした。友軍機が次々と撃墜してくれた。すべて撃破したところで、目標地点の飛行場へ向かう、
この時点で40分もの飛行時間になっていた。無事飛行場へ着陸し、ミッションクリアとなったが、丸々1時間もの長い飛行時間となってしまった。
こういう作戦は精神的疲労が積もる。ポーズを何回かかけて、タバコをふかし、コーヒーを飲みながらのプレイであった。ここで白状すると、実は、これが2回目の
再出撃だったのだ。せめてミッションは30分くらいで終わるようにして欲しいと思った。そうでないと、イライラが募り、タバコの本数が増えてしまう・・・。

2005年6月8日(水)
敵戦闘・爆撃機と遭遇せず・・・。

1941年8月8日 本日の作戦内容は、弾薬基地のある町の空襲に対応して、敵戦闘・爆撃機を撃破せよとの命令が下される。
6機のI−16と護衛のMigg6機、それに爆撃機SB2M−100Aが2機出撃である。敵はドイツ軍Bf−109 4機 とHe-111 9機である。
しかし今回の作戦、空襲からの防衛なのに、一向に敵が空襲地域に現れる気配がない。敵飛行場付近で上空を旋回している模様、友軍機も空襲地域を旋回後、基地へ帰還にはいったようである。そのまま敵戦闘・爆撃機へ特攻をかけたかったのだが、数が多すぎて特攻を断念そのまま友軍機と共に基地へと帰還するのであった。せっかく撃墜数を増やすチャンスだったのに非常に残念である。
1941年8月9日 本日の作戦内容は、敵空域に出撃し、敵に重大な損害を与えることにある。I-16 3機の出撃である。その他に後部機銃席のある複葉機(U-2VS 軽爆撃機・連絡・偵察機)が1機飛んでいた。2機編隊とは距離を置いて、高度2000で飛行する。目標地点に到達すると、ドイツ軍飛行場が見えてきた。7機の敵戦闘機が駐機していた。2機のBf-109が離陸を始めている。離陸を待って、敵6時の方向につくことに成功、機銃を距離600から連続掃射!敵機体尾翼に命中し、見事撃墜に成功する。また敵飛行場付近に敵列車が走行しているのを発見し、これを撃破する。このとき、列車の高射砲で、自機右翼に被弾したようだ。そのまま自軍飛行場へ向け、帰還することになる。ところが飛行場付近に到達するも、肝心の滑走路がみえてこない。ここはいったん素どうりして、離陸した滑走路に向かい、着陸に成功した。
戦果として、Bf-109F 1機撃墜・敵列車車両13両の破壊に成功する。おかげさまで、赤星勲章を授与Leitenantに昇進する。
1941年8月10日 本日の作戦内容は、Vyira付近の地上目標を破壊することにある。I-16 3機での出撃である。護衛として、MiG7機と、I-16 2機、SB2M−100A(爆撃機)が3機発進した模様である。目標地点に到着まじか、MiGが敵戦闘機と交戦に入ったようである。私は、交戦中のドイツ軍Bf-109Fを狙って、高度2500から降下し、距離750mで機銃掃射1機、撃墜に成功する。続いて、2機目の敵機を追うが、巡航速度が速くて追いつかない。ローヨーヨーにて追うが、やはり追いつけなかった。追うのをあきらめて、敵地上目標に接近する。1回目の攻撃、機銃掃射するも、敵の車両は高速で移動しているらしく、全弾命中しなかった。離脱して、高度1300から降下・旋回しながら2回目の攻撃、ロケット3発を打ち込むが、直撃しなかった。3回目の攻撃、再び高度1250から降下、車両2台を破壊する。4回目の攻撃では、戦車を1台破壊する。続いて、地上攻撃を一旦中止し、敵戦闘機に狙いを定める。近くで、T-16 3機が敵Bf-109F1機を追っているようだ。私は高度2600からバンクしながら急降下、敵6時方向に距離300mに追い詰めたところで、機銃掃射、2機目の撃墜に成功する。作戦成功の無線が入り基地へと帰還途中、1機の敵Bf-109Fと遭遇、敵は低高度で飛行している。高度2300ですれ違い、反転・急降下して距離800mに迫ったところで機銃掃射、3機目の撃墜に成功し、飛行場へ着陸するのであった。戦果として、Bf-109 3機と車両3台を撃破した。おかげさまで赤旗勲章を授与する。

2005年6月7日(火)
いよいよソ連キャンペーンスタート

1941年8月7日 本日の作戦内容は、制空権を確保し、敵戦闘機を撃破することであった。本題に入る前に、I−16についてだが、昨日「ギヤは収納できない」と書いていたが、実は「手動」で収納できることがわかった。
HPのBBSにてVujinさんに指摘していただいたのだが、ゲームのコントロール画面にて、Rise/Lower Gear manuallyの設定を行えば、無事ギヤが、UP DOWNできるのだ。それにはボタンの連打が必要で、ちょっと面倒くさいのではあるが・・・。でもVujinさんご指摘ありがとうございました。助かりました。
本題に移るとして、キャンペーンは二日目の出撃になる。6機のI−16が出撃、護衛にLaGGが4機ついてくれた。パトロール任務が主体なので、目的地点がないのだが、敵戦闘機を1機でも撃破して勲章をもらえないかと思案する。
パトロールも中盤に入り、いよいよ敵の機体ドイツ軍のBf−110C 4機と遭遇する。この機体は戦闘・爆撃用の機体で、I−16にとっては、たやすく落とせる機体だと思う。案の定、1機撃破に成功する。他の友軍機も撃破に成功したようだ。そのまま私を除くI−16 5機はパトロール任務を続けている。どうやら付近の敵飛行場で、Bf−109が出撃の模様だからだ。私は安全策をとり、ミッションクリアのため、一人で基地へと帰還するのであった。キャンペーン2日目にしては戦果(Bf−110C1機撃墜)はいい方だと思っている。しかし勲章の授与・階級の昇進には至らなかった。残念!!次の出撃に期待することにしよう。
IL−2FBのキャンペーンに比べ、AEPは味方の機体の性能は上であるのに対して、敵機体は戦闘・爆撃機主体で、性能がちょっと下回っていると思った。今日の作戦は、I−16の機体の制御を行う上での良い訓練の機会となった。

2005年6月6日(月)
AEP導入!!

今日午前中に、待ちに待った「IL2:FORGOTTEN BATTLES ACE EXPANSION PACK」
が届いた。早速、今までのIL−2FBを 一旦アンインストールし、v1.2の状態からAEPをインストールした。続いて AEP patch v2.01 patch v2.04をインストールした。
FBとの違いは日本語版だったのが、英語版になったことと、今まで、NO CDでプレイできたのがCDがPCに挿入されていなければゲームを起動できないという2点だった。
NO CDでできるパッチもあるらしいがPCをいじるのが苦手なganngiyouは止めておきました。
でもJackal氏(当サイトリンク)には、時間のあるときでも試してみたらとすすめられています。
パッチは「なお&ヨリふやけ日記」(当HPリンク)にあります。
AEPを導入してきずいた事といえば、ソ連のキャンペーンで最初に出てくる機体がI−153ではなくI−16になったことと、キャンペーンの難易度をカスタムにして離陸からスタートさせた事です。
早速1941年8月6日より1ミッションプレイしてみたのですが、よりリアルになった音響効果にびっくりしました。(単に音量が上がっただけかも)またI−16Type24(1939)はギヤが収納できないんですね。
また、フラップも離陸と着地の二つのモードです。でもI−153よりエンジン出力があり、2種類の機銃が付いていて、より戦闘機らしさを感じました。
難易度をノーマル(カスタム)にしたせいか、風の抵抗も再現されていて、まさしくフライトシュミレーターをプレイしているという印象を持ちました。
今後、バグが出現しないかぎりFB+AEPの環境で日記を進めていきたいと思っています。


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