IL-2FB+AEP日記

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2005年7月4日(月)
大空中戦!!

1941年9月17日 本日の作戦は、Lavansaari空域の偵察任務である。
6機編隊のI-16と、4機編隊のMiG(ミコヤン・グレビッチ MiG−1戦闘機)そして3機編隊のMiGの、計13機が出撃した。
偵察中,2機編隊のBf-109(メッサーシュミット Bf109戦闘機)に遭遇、続いて、4機編隊のBlenheim(ブリストル・ブレニム軽爆撃機・イギリス産)そして、8機編隊のGladiator(グロースター グラディエーター戦闘機・イギリス産)そして、4機編隊のP-36(カーチス P−36ホーク戦闘機・アメリカ産)の、計18機もの敵機に遭遇、大空中戦となった。
私は、P-36に狙いを定め、インメルマン機動をとる。4機のP−36の撃墜に成功!!続いて、Gladiatorに狙いをさだめる。これは格好のカモだ。Gladiatorを4機撃墜する。続いて宿敵の、Bf-109に攻撃目標を定める。さすがにBf-109はI-16より性能が上で、旋回戦でも、圧倒されてしまう。
やっとBf-109の背後に食らいつき、距離880で撃墜!!Bf-109は黒煙を吐きながら墜落していく。
残りの敵機も、全機友軍機が撃破した模様。
戦果としてフィンランド軍P-36を4機、Gladiatorを4機、ドイツ軍Bf-109を1機撃破する。計9機撃破する。
今回の作戦では、ドイツ軍Bf-109が、久々の登場だった。
I-16にとっては、ライバルとなる敵である。

2005年7月3日(日)
フィンランド軍、7機撃墜!!

1941年9月16日 本日の作戦は、Glinki地域を敵空襲から防衛せよ との命令。
6機編隊のI-16と、3機編隊のPe-3(ペトリャコフPe-3双発戦闘機)、それに1機のMiG(ミコヤン・グレビッチ MiG1戦闘機)計10機が出撃した。Glinki地域に到達、すると9機編隊のBlenheim(ブリストル・ブレニム軽爆撃機・イギリス産)と、護衛の2機編隊のP-36(カーチス P−36ホーク戦闘機)が出現!!まずはBlenheimを迎撃目標にする。高度3500から追尾、まずは、1機めのBlenheimを距離400で撃墜、散開するBlenheimを追撃し、あと5機撃墜に成功する。
続いてP-36を追う。インメルマン機動にて、背後に食らいつき、距離1100で撃墜に成功する。
そのころ、離陸基地であったLavansaari飛行場では、フィンランド軍の、4機編隊のHarricane(ホーカー ハリケーン戦闘機・イギリス産)と、2機編隊のP-36が飛来。飛行場にて着陸していたMigが、攻撃されている。しかし、高射砲にて、次々と撃破され、1機のHarricaneを残し、全機撃破された模様。
戦果としてフィンランド軍Blenheim6機とP-36を1機撃破に成功する。
私のI-16にとって、Blenheimはただのカモにすぎなかったことを実証した作戦だった。

2005年7月2日(土)
久々の地上部隊攻撃

1941年9月15日 本日の作戦は、Dyatlovo付近の前線へ、到着する敵輸送部隊を攻撃せよ。との命令が下る。
3機編隊のI-16と、護衛に、P-40(カーチス P−40ウォーホーク戦闘機・アメリカ産)6機編隊が出撃する。
Dyatlovo付近まで何事もなく飛行。すると、11時方向からフィンランド軍P-36(カーチス P−36ホーク戦闘機・アメリカ産)4機編隊に遭遇、P-40と空中戦が始まった。私は、高度4000から、戦況を見守り、攻撃目標を見定める。インメルマン機動にて、1機のP-36に狙いを定め、降下し、P-36のケツに食らい付く。距離430mで1機撃墜。続いて距離600mで2機目を撃墜する。私は、攻撃目標を、輸送部隊に移し、高度3000から降下、車両4台を、20mmとロケットで、破壊。離脱後、なにやら機体の挙動がおかしい。確認すると右翼に被弾している模様。私は基地へと帰還を決めた。
戦果として、P-36を2機撃墜、輸送部隊を4台破壊する。そして、無事にLavansaari飛行場へ帰還するのであった。

2005年7月1日(金)
登場!!Fiat G50

1941年9月14日 本日の作戦は、Seiskari空域の偵察任務である。
6機編隊のI-16が出撃した。何事もなく、Seiskari空域に到達。すると11時方向に、フィンランド軍の4機編隊のG-50(フィアット G50戦闘機・イタリア産)と、6機編隊のHurricane(ホーカー ハリケーン戦闘機・イギリス産)が出現!!1939年にフィンランドに輸出された35機のG50は終戦までソ連機と戦っている。 
私は高度4000で、眼下の敵機を眺め、目標をG-50に定める。
インメルマン機動で、G-50の背後につけた。敵機はブレイクしようと必死である。距離100mまで追い詰め撃墜に成功!!
友軍機も、全機撃破に成功した模様。戦果として、Fiat G-501機を撃墜する。私は任務を終え、Lavansaari飛行場へ帰還する。

2005年6月30日(木)
フィンランド軍12機撃墜!!

1941年9月13日 本日の作戦は、Glinki地域を偵察し、敵空襲から防衛せよ。との命令.が下る。
6機編隊のI-16と、3機編隊のI-16、計9機の出撃である。Glinki地域を偵察していると、空襲にやってきた
フィンランド軍、Blenheim(ブリストル・ブレニム軽爆撃機)6機編隊を確認、どうやら爆撃体制にはいってる模様。これは格好のカモ。6機編隊のBlenheimは、散開もせず、編隊を崩さず飛行を続けている。
ここぞとばかりに20mmを掃射!すべてのBlenheimを撃墜する。続いてMAPを開いてみると、付近に敵飛行場発見、3機編隊のBlenheimと、2機編隊のB-239(ブリュースターB239バッファロー)が着陸態勢に入っている。
私は、敵飛行場へ向かい、着陸態勢に入った3機編隊のBlenheimを20mmですべて撃墜する。
続いて、2機編隊のB-239も、着陸態勢に入った模様、バレルロールでかわす、B−239を追従し、距離100mで撃墜。続いてまさしくギヤをだして着陸に入ったB-239を、距離150mで撃破に成功する。
戦果としてBlenheim10機、B-239を2機、計12機もの撃墜に成功する。
I-16にとって、もはや、フィンランド軍は格好のカモになってしまったようだ。
私は任務を終え、無事にLavansaari飛行場へ着陸する。今となっては、ドイツ軍Bf−109がなつかしく思われる。

2005年6月28日(火)
またしてもフィンランド軍登場

1941年9月12日 本日の作戦は、Tiurinssaari付近で、敵の増援部隊の活動がみられる。
敵航空機を発見次第、撃破せよ。との命令。6機編隊のI-16と、4機編隊のMiG(ミコヤン・グレビッチ MiG−1戦闘機)計10機が出撃した。何事もなくTiurinssaari付近を通過、友軍機は折り返して、基地へ、帰還する模様。私は撃墜数を稼ぐため、MAPを開いて索敵すると、付近に敵飛行場があり、敵機は着陸態勢に入っているようだ。私は敵飛行場上空へ、単独で 突入を試みた。敵飛行場上空に到達、敵機は、4機編隊のP-36(カーチス P−36ホーク戦闘機)と、1機のBlenheim(ブリストル・ブレニム軽爆撃機)だった。今まさに、1機のP-36が着陸しようとしている。私は他の3機のP-36を攻撃目標にし、敵機6時方向に位置した。
まず最後方のP-36を距離170mで撃破、2機目を距離560mで撃破、3機目を距離730mで撃破する。旋回すると、1機のBlenheimが視界に飛び込んできた。
距離700mで、20mmを掃射!!Blenheimは、煙をあげている。とどめに、距離200mで20mmを掃射!!撃墜に成功する。
戦果としてP-36を3機、Blenheimを1機、計4機の撃破に成功し、無事Lavansaari飛行場へ着陸する。
今回の作戦はまたもや、フィンランド軍との戦いとなった。P-36もBlenheimも1938年度産の旧式の航空機で、I-16の性能からみれば、撃墜するにはいいカモだったのかもしれない。

2005年6月27日(月)
Third Gold Star 獲得
1941年9月9日 本日の作戦は、わが軍の情報部によれば、敵がSaarenpa地域へ攻撃するとのことで、敵航空機を撃破せよ。との命令だった。6機編隊のI-16と、4機編隊のHurricane(ホーカーハリケーン戦闘機)が出撃した。目標までの地点から中間あたりで、ドイツ軍のBf-110(メッサーシュミットBf110戦闘機)2機編隊と、フィンランド軍のHurricane(ホーカーハリケーン戦闘機)4機編隊に遭遇する。
私は高度3600から、眼下にいる敵を眺めつつ、攻撃 目標を見定める。目標を、最後方にいたHurricaneにし、一撃離脱戦法をとる。しかし、最初の攻撃は失敗、一旦上昇して、再度攻撃を試みる。そして距離160mまで追い詰めて、20mmを掃射!!撃墜に成功する。 残りの敵Hurricaneは、友軍機が撃墜、Bf-110も、撃墜された模様である。MAPを開いてみるとSaarenpa地域付近に、敵飛行場があり、フィンランド軍の2機編隊B-239(ブリュースターB239バッファロー)が、着陸態勢をとっている。わたしはこれを見逃さず、敵飛行場へと向かった。ちょうど着陸態勢に入っていたB-239は、とてもおいしいカモである。楽々と敵機6時方向につけ、距離150mでまず、1機を撃破!!2機目を距離230mで撃破!!2機とも木っ端微塵に砕け散った。ww
戦果としてHurricane1機、B-239を2機撃破に成功! 「Third Gold Star 」を受賞する。今回の作戦は、久々のドイツ軍機(Bf-110)が登場した。
またソ連軍・フィンランド軍共にHurricaneが登場したのはおもしろいことだった。
2005年6月26日(日)
30回目の記念すべき出撃

1941年9月4日 本日の作戦は、Seiskari空域をパトロールし、発見した敵機を撃破せよ。との命令がくだる。今日は30回目の記念すべき出撃となる。 6機編隊のI-16と、4機編隊のMiG(ミコヤン・グレビッチ MiG−1戦闘機)が出撃した。Seiskari空域をパトロール中、フィンランド軍の、4機編隊Gladiator(グロースター グラディエーター戦闘機・イギリス産)そして、1機のBlenheim(ブリストル・ブレニム軽爆撃機・イギリス産)と遭遇、高度3500で交差する。Gladiatorは旋回性能が良く、交差後、急反転して、私に襲い掛かる。何度か6時の位置につかれ、機銃掃射を受ける。
私は高度1000まで急降下して振り切り、1機のGladiatorとヘッドオン状態に。距離30mで20mmを浴びせ撃墜に成功する。
友軍機もすべての敵機を撃墜した模様。作戦終了となり、Lavansaari飛行場へと帰還する。

1941年9月8日 本日の作戦は、Koivisto地域の地上部隊の防衛任務だった。
6機編隊のI-16が出撃した。Koivisto地域に到着すると、なぜか作戦成功の知らせが入り、3機のI-16がLavansaari飛行場へと帰還する模様。
私はMAPを開き、索敵してみると、Koivisto付近に、爆撃任務を終えたフィンランド軍の、6機編隊Hurricane(ホーカー ハリケーン戦闘機・イギリス産)と4機のGladiator(グロースター グラディエーター戦闘機・イギリス産)が飛行場へ帰還する模様だった。
目標をこれらの敵機にし、私と2機のI-16は、敵飛行場へ向かった。まず、最後に着陸しようとしていたGladiatorを狙うが、高度差があり、攻撃を断念、今まさに着陸態勢に入っている
Hurricaneの編隊に攻撃目標を定める。まず、1機目を距離20mで撃墜、2機目を距離50mで撃墜、3機目を距離20mで撃墜する。
次の4機目が、大変だった。距離20mに追い詰めるがブレイクされ、オーバーシュートし、逆に機銃掃射を受ける。私もブレイクし、急旋回を繰り返し、敵機を追う。
一旦、高度を2000まで上げ様子を伺うと、敵機は低高度で、旋回を繰り返している。なんとか私は敵6時方向につけようと、初めての試みであった「インメルマン」 の攻撃機動をとり、旋回中だったHurricaneの6時方向につくことに成功!! 距離250mで撃破に成功する。
戦果として4機のHurricaneを撃墜、無事Lavansaari飛行場へ着陸する。

2005年6月25日(土)
Morane (モラーヌソルニエ MS406戦闘機)再登場

1941年9月3日 本日の作戦は、Klamila地域へ向かう敵移動部隊を爆撃・護衛の任務だった。
6機編隊のI-16と、2機編隊のP-40 (カーチス P−40ウォーホーク戦闘機・アメリカ産)、4機編隊MiG-3 (ミコヤン・グレビッチ MiG−3戦闘機)と、9機編隊のMiG-3と、2機編隊のSu-2 (スホーイ Su−2地上攻撃機)、計21機もの出撃だった。
目標地点まじか、フィンランド軍の4機編隊のMorane (モラーヌソルニエ MS406戦闘機・フランス産)そして、後続に更に、4機編隊のMoraneと遭遇、I-16とMiGが戦闘に入った。私は高度4300mから降下、一撃離脱戦法で、1機のMoraneの6時位置につき、距離460mで20mmを掃射、Moraneは墜落していく。続いて、旋回戦で、Moraneを距離130mで20mm掃射!!撃破に成功する。他の友軍機も、Moraneの撃破に成功!
8機のMoraneは全機、撃墜された。続いて、目標地点で、敵移動部隊を、Mig−3が攻撃中。一方、P-40とSu-2は、敵飛行場へ攻撃をしかけている。
作戦終了となり、私はLavansaari飛行場へ帰還する。今回の作戦、13機ものMig−3が、大活躍した。フィンランド空軍機は、他国産の航空機を使用しているのが、今回でよくわかった作戦だった。

2005年6月24日(金)
爆撃機護衛に成功

1941年9月2日  本日の作戦は、Sakkijarvi地区の敵工場へ出撃する爆撃機を護衛せよ。との命令だった。
6機編隊のI-16と、4機編隊のI-16と9機編隊のPe-2(ペトリャコフ Pe−2戦闘爆撃機)の計19機での出撃である。
Lavansaari飛行場に突如、2機編隊のB-239(ブリュースターB239バッファロー)が襲来、飛び出ったI-16が、即座に応戦し、これを撃破する。先行して飛行していた9機編隊のPe-2は、Sakkijarvi地区に到達、敵工場へ爆撃を行った。
すると、迎撃に向かったフィンランド軍の、4機編隊のMorane(モラーヌソルニエMS406戦闘機・フランス産)と、4機編隊のGladiator(グロスター・グラディエーター ・イギリス産)と遭遇、Pe-2は追撃されている。ここで初登場のMorane(モラーヌソルニエMS406戦闘機・フランス産)とは、フランスからフィンランド軍に納入された機体の大半はソビエトから捕獲したクリモフM−105Pエンジン(1,100馬力)に換装され、性能を向上した戦闘機として「メルケモラーニ」の名称を付けられ対ソビエト戦に活躍したそうだ。そのころ私のI-16は、Pe-2から程遠い所を飛行していた。
Pe-2に追いつくため、加速飛行していると、2機編隊のB-239に遭遇、友軍機が応戦した。私も迎撃に向かい、旋回戦の末、B-239を距離600mで1機撃墜に成功する。その後Pe-2を追撃するMoraneとGladiatorに追いつき、まず、距離、1400mからMoraneに対し、20mmを掃射!!Moraneは墜落していく。
続いて、距離600mからGladiatorに、20mmを掃射!!撃墜に成功する。すると私の背後に1機のGladiatorが迫ってきた。私は必死に、ブレイクを続け、引き離しに成功、形成は逆転し、Gladiatorの背後につけた。そして距離640mで20mmを浴びせ、撃墜に成功する。続いて、Moraneを追撃!距離60mの至近距離で、撃墜に成功する。友軍機も活躍したことでPe-2は、5機残った。そしてPe-2はLavansaari飛行場に無事生還。私は護衛任務を終了し、無事Lavansaari飛行場へ着陸する。
戦果として、フィンランド軍のB-239を1機、Gladiatorを2機、Moraneを2機、計5機の撃墜に成功したのであった。爆撃機護衛の作戦にまともに成功したのはこれが初めてだったかもしれない・・・。それにしてもフィンランド軍との交戦が続いている。最近ドイツ軍のBf-109をみかけない。Bf-109が苦手な私のI-16にとっては、良いことなのだが・・・。

2005年6月23日(木)
Order of the Red Banner 受賞(2回目)

1941年9月1日  本日の作戦は、Kuolemajarvi空域をパトロールし、鉄道列車を防衛せよ。との命令だった。6機編隊のI-16と、2機編隊のPe-3(ペトリャコフ Pe−3戦闘爆撃機)、2機編隊のDB-3M(イリューシンDB−3爆撃機)と、3機編隊のDB-3Mの、計13機が
出撃した。目標地点に到着目前、MAPを開いてみると、フィンランド空軍の、6機編隊のBlenheim(ブリストル・ブレニム軽爆撃機)が、列車へ爆撃に入った模様。
列車の防衛には、間に合わなかった。Kuolemajarvi空域に到達し、私を除く5機のI-16は、基地へと戻っていくようである。再度MAPを開いてみると、付近に敵飛行場があり、爆撃を終えた6機編隊のBlenheimが帰還するようであった。私のI-16と2機編隊のPe-3 はBlenheimに攻撃目標を定め、敵飛行場へ向かった。
飛行場を旋回・着陸していくBlenheimを1機ずつ、6時の位置から20mmを掃射!!5機の破壊に成功する。一方、Pe-3は2機とも撃墜された模様である。
その後、さらに敵機B-239(ブリュースターB239バッファロー戦闘機)に遭遇、旋回戦の末、1機の撃破に成功する。私は敵飛行場にある高射砲を避けながら、基地へ帰還することにする。
そのころDB-3Mはなにをやっていたかというと、最寄の自軍飛行場へ着陸したようである。私はLavansaari飛行場上空に向かい、着陸許可を求めたが、管制塔からは許可がなかなかおりない。
どうやら先に帰還したI-16が、着陸態勢に入っているようだ。飛行場上空高度1500で2回旋回を繰り返し、ようやく着陸許可がでて、無事着陸に成功する。
戦果としてBlenheim N 2機と、Blenheim S 3機、Brewster NE 1機の計6機を撃墜しOrder of the Red Bannerを受賞する。今回で2度目の受賞だった。

2005年6月22日(水)
友軍機活躍するww

1941年8月31日  本日の作戦は、Narva地域へ出撃する爆撃機を護衛せよ。との命令だった。
6機編隊のI-16と、9機編隊のDB-3M(長距離爆撃機)が出撃した。DB-3Mは、1935年に初飛行した
中型長距離爆撃機。主機にM-85 (760HP)を搭載した初期型に続いてM-87B (950HP)を搭載したDB-3Mが開発されている。
Lavansaari飛行場を離陸しようとすると、フィンランド空軍の2機編隊B-239が、飛行場上空に飛来する。Bー239(ブリュースターB239バッファロー)は、1939年12月に米国からやってきた、本来は艦上戦闘機。フィンランドに渡って青い鉤十字を記された若干44機のそれは、群がり攻め込むソ連軍を相手に大活躍、数々のエースパイロットも生み出し、「空の真珠Taivaan Helmi」と呼ばれたのでした。
早速、飛行場上空を飛行していたDB-3Mが2機、撃墜されてしまう。I-16が迎撃に向かい、B-239を全機撃墜に成功する。その後、Narva地域へ、7機編隊DB-3Mを護衛する。
すると、やってきました敵機が!!ドイツ軍、4機編隊のBf-109と、2機編隊のBf−110である。I-16との空中戦が始まる。
私は一撃離脱戦法をとるが、敵機に次々とブレイクされてしまう。その間、友軍機が1機、2機と撃破に成功、最終的に敵機全機の撃墜に成功するww。私はいったいなにをやっていたんだろう・・・・。DB-3M7機編隊は、無事任務を終えて基地へと向かい、I-16の護衛任務は終了。
私は、Lavansaari飛行場へ帰還を果たす。 今回の作戦、友軍機の働きで、私は敵機を1機も撃墜できなかったのは、非常に残念であった。
相変わらず、Bf-109には、手を焼かされるww

2005年6月21日(火)
7機の撃墜に成功!!

1941年8月30日 本日の作戦は、Tytarsaari地域の敵空襲からの防衛であった。 6機編隊のI-16と、4機編隊のYaKが出撃した。
空襲地点までは39kmと、楽な飛行である。空襲地点上空にさしかかると、敵 9機編隊のJu-88A4に遭遇、続いて、4機編隊のBf-109Fが護衛についていた。
1936年12月に初飛行したJu88は、ドイツ航空省の高速爆撃機製作の要求に答えて製造された機体である。私は、高度4800まで上昇し、まず、Ju-88の6時の位置につけた。距離は1000mであった。遠い距離にもかかわらず、20mmを掃射!!
編隊を崩さない敵機は次から次へと墜落し、5機の撃墜に成功する。続いて1機のJU-88を、距離560mで撃墜。まったくもって、爆撃機はカモのようである。
さらに護衛についてきたBf-109F1機を追い、旋回戦の果てに、距離700mで20mを掃射!!撃墜に成功する。
戦果として、JU-88A4を6機、Bf109Fを1機撃破し、「Order of Patriotic War 1st Class」を受賞する。

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