IL-2 FB+AEP日記
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2005年7月14日(木)
Douglas 登場

1942年2月1日 本日の作戦は、Gorskaya飛行場からManushkino飛行場へ移動命令が下る。
8機編隊のP-40と、3機編隊のDouglas(ダグラス C−47スカイトレイン輸送機)の計11機が出撃した。
Leningrad上空、高度2800で、敵ドイツ軍4機編隊Bf-109G(メッサーシュミット Bf109戦闘機)を12時方向に発見!!私はただBf-109を追うだけで、友軍機がすべて撃破してくれた。
Douglasは、2機撃墜された模様。私は仕方なくManushkino飛行場へ着陸する。
本日の戦果はなしであった。

2005年7月13日(水)
Su-2 9機生還!!

1942年1月25日 本日の作戦は、Pushkin地区への爆撃機護衛任務である。
6機編隊のP-40と、9機編隊のSu-2(スホーイ Su−2地上攻撃機)と、4機編隊のYak(ヤコブレフ Yak−1戦闘機)の計19機が出撃である。離陸間じか、2機編隊のフィンランド軍B-239(ブリュースターB239バッファロー)が飛行場へ飛来、1機のYaKが撃破される。B-239は、その後高射砲によって撃墜された。私は離陸してまもなく、12時方向に7機編隊のBf-110
(メッサーシュミット Bf110戦闘機)を発見!高度3500で交差し、反転、6時方向につけ、1機のBf-110に食らい付いた。
距離160で12.7mmを掃射!!撃墜に成功する。友軍機も、全機撃破に成功。任務を達成する。
9機のSu-2も全機生還した模様。戦果として、ドイツ軍Bf-110を1機撃破する。
今回の着陸は、着陸まぎわに、フラップ作動、ギヤ作動させたので、なにごともなく飛行場へ着陸し、作戦成功となる。

2005年7月11日(月)
またもや緊急事態

1942年1月20日 本日の作戦は、Jappila 地区への爆撃機護衛任務である。
6機編隊のP−40と4機編隊のYak(ヤコブレフ Yak−1戦闘機)、9機編隊のYakの計19機が出撃!!
離陸後まもなく、2機編隊のBf-109(メッサーシュミット Bf109戦闘機)と遭遇、友軍機がすべて迎撃に成功する。
続いて4機編隊のHurricane(ホーカー ハリケーン戦闘機)に遭遇、私は、旋回し、6時方向につけ、まず1機目を距離500で撃墜、2機目を距離500で撃墜、3機目を距離1000で撃墜に成功する。
目的地点付近で、3機編隊のG-50(フィアット G50戦闘機)に遭遇、スプリットSで降下し、1機のG-50の背後につく。
距離500で、12.7mm機銃を掃射、撃墜に成功する。
作戦成功の知らせが入り、帰路に着くが、またしても緊急事態発生!今度はフラップがジャムり、ギヤも空気抵抗を受けて2本とも折れてしまう。、Gorskaya飛行場へ胴体着陸を敢行。無事着陸に成功する。
戦果として3機のHurricane、1機のG-50、計4機の撃墜に成功する。
それにしても、P-40のギヤは、90度回転して後方に引っ込むという複雑な引っ込み脚のせいか、
大気速度が速いと折れやすいことが改めて思い知らされた作戦であった。

2005年7月9日(土)
緊急事態発生 胴体着陸を試みる

1942年1月15日 本日の作戦は、Krasnoe Selo地区への爆撃機護衛任務である。
8機編隊のP-40と、10機編隊のPe-3(ペトリャコフ Pe−3戦闘爆撃機)、計18機の出撃である。
離陸後まもなく4機編隊のBf-109(メッサーシュミット Bf109戦闘機)に遭遇、距離400に追い込んで1機撃墜する。
続いて更に、4機編隊のBf-109に遭遇、これもまた距離400に追い込み1機撃墜に成功!P-40の機銃掃射に慣れてきた感触だ。続いて4機編隊のBf-110(メッサーシュミット Bf110戦闘機)に遭遇、距離150に追い込み1機撃墜!!無事護衛任務を終え、帰路につく。ところがである、高度3200地点、SPD340で誤って、ギヤをダウンさせたら、左のギヤが風の抵抗で折れてしまった。緊急事態である。これはもう胴体着陸しかない・・・。
右のギヤを格納し、Gorskaya飛行場へ胴体着陸を試みる。地面と水平に機体を制御し滑り込むように、着陸に成功!!
戦果は、Bf-109を2機、Bf-110を1機、計3機撃破に成功。Pe-3も5機生還した模様である。
今回の作戦で、P-40の機体制御に自信がでてきた。

2005年7月8日(金)
Kapitanへ昇格!!

1942年1月10日 本日の作戦は、Kuzmolovsky地域を偵察し、地上輸送部隊を防衛せよとの命令。
6機編隊のP-40と、6機編隊のLaGG(ラボーチキン LaGG−3戦闘機)と、4機編隊のMiG(ミコヤン・グレビッチ MiG−3戦闘機)計16機が出撃した。Kuzmolovsky地域に到達すると、敵機ドイツ軍のBf-1096機編隊と遭遇、続いて、6機編隊のJu-87(ユンカースJu87急降下爆撃機)に遭遇、私はJu-87を攻撃目標にして、高度4800からスプリットS機動にて急降下、距離500で、Ju-87を撃墜、2機目も距離700で撃墜、3機目も距離500で撃墜する。
索敵すると基地へ帰還するJu-87を発見!私はそれを追い、距離400で、12.7mmMGを掃射!撃破に成功する。
戦果としてJu-87B2を4機撃破に成功し、無事Gorskaya飛行場へ帰還する。
結果Kapitanへ、階級が昇格する。

2005年7月7日(木)
P-40に慣れるまで辛抱のgangiyou

1942年1月5日 本日の作戦はGorka空域の偵察任務だった。
6機編隊のP-40と6機編隊のLaGG-3(ラボーチキン LaGG−3戦闘機)計12機が出撃!
飛行場を飛びだった直後、ドイツ軍Bf109(メッサーシュミット Bf109戦闘機)2機編隊と遭遇、友軍機は迎撃に向かう。
私は高度を上昇させるのに必死だったため、迎撃は断念、目標地点へ向かった。
目標地点まじか、フィンランド軍4機編隊のB-239(ブリュースターB239バッファロー)と6機編隊のHurricane(ホーカー ハリケーン戦闘機)に遭遇、Hurricaneは、鉄道基地へ爆撃を行っている。
私は攻撃目標を、B-239にし、一撃離脱戦法と、旋回戦を交えながらも、3機のB-239の撃破に成功、一方敵Hurricaneは、基地の高射砲で5機撃墜した模様
戦果としてB-239を3機撃破に成功する。
今回、搭載機銃の12.7mm機銃×6がよく敵機に当たり、3機とも木っ端微塵になった。P-40の操作にだいぶ慣れたようだ。
私は無事Gorskaya飛行場へ帰還を果たす。

2005年7月5日(火)
部隊転属そして、P-40搭乗になる。

1942年1月1日 部隊はさらに最前線基地であるGorskaya飛行場へ転属となった。
さらに私の搭乗する機体は、P−40(カーチス P−40ウォーホーク戦闘機)となった。P-40は、1941年の真珠湾奇襲攻撃の際にはハワイの基地に配備されていた当機が日本軍迎撃に飛び立っている。
本日の作戦は、Kirovskへ向かう爆撃機を援護せよとの命令。

6機編隊のP-40と4機編隊のLaGG(ラボーチキン LaGG−3戦闘機)、9機編隊のIL-2(イリューシン Il−2シュトルモビク地上攻撃機)の計19機が出撃である。
目標地点までの中間地点で1機のドイツ軍Fw-189(フォッケウルフ Fw189ウーフー偵察機)と遭遇、すぐさまP-40が迎撃に向かい、これを撃破する。
続いて、11時方向に、ドイツ軍4機編隊Fw-190(フォッケウルフ Fw190戦闘機)と遭遇、空中戦となる。私は慣れないP-40を操作しながら、1機のFw-190
を追う。敵機6時の方向につけ、距離200から12.7mMGを掃射するが、致命傷を与えられない。私は撃墜をあきらめ、友軍機にまかせることにした。そして友軍機が敵機全機の撃破に成功!私は、初搭乗となるP-40の試験飛行を兼ねて、機体制御の練習をしながら、Gorskaya飛行場へと帰還する。

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