IL-2FB+AEP日記
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2005/07/31/Sun    2日間日記がかけなかったよ

ようやく日記が書けるようになった。

@PCの不調

Aノートン先生の再インストール

BDVDをヤフオクで入手、視聴(空軍大戦略を購入)

C仕事が忙しすぎる・・・。帰宅午後10時過ぎ

DMSNメッセで登録者追加

以上が原因で、まったく日記の更新ができなかった。

本題に移る。

1942年3月25日

本日の作戦は、Borisova Griva 地域の地上部隊の防衛であった。

6機編隊のP−40と、4機編隊のYak(ヤコブレフ Yak−7戦闘機)

計10機が出撃。

高度4800に上昇

すると10時方向に6機編隊のJu−87(ユンカース Ju87急降下爆撃機)

と、護衛の2機編隊Bf−109(メッサーシュミット Bf109戦闘機)

に遭遇、私より高高度を飛んでいる。

Ju−87に追いつくため上昇するがなかなか追いつかない。

そうこうしているうちに、Ju−87の地上部隊への爆撃が始まり、打つ手なし。

地上部隊は壊滅してしまった。

仕方なく爆撃帰りのJu−87を狙い、2機撃墜する。

とりあえず作戦終了の知らせが入り、基地へと帰還する。



2005/07/28/Thu    IL-2 3機生還

1942年3月20日

本日の作戦は、Slutskにある敵鉄道駅への爆撃機護衛任務である。

6機編隊のP-40と9機編隊のIL-2(イリューシン Il−2シュトルモビク地上攻撃機)と

4機編隊のHurricane(ホーカー ハリケーン戦闘機)の19機が出撃した。

離陸後、まもなく2機編隊のB-239(ブリュースターB239バッファロー)と、2機編隊の

Bf-109(メッサーシュミット Bf109戦闘機)に遭遇、私は、B-239を攻撃目標にして

迎撃体制をとる。うまく1機のB-239の背後につき、距離280で、12.7mmを掃射!!

撃墜に成功する。

続いて2機目も、距離650で撃墜に成功!!

一方IL-2は、Bf-109とBf-110(メッサーシュミット Bf110戦闘機)に次々と撃墜されていく。

作戦成功の知らせが入り、基地へと帰還中、1機のBf-110に遭遇。

高高度から、急襲し、ハイヨーヨー機動で、背後につき、距離40で撃墜に成功!!

生還したIL-2は、3機のみであった。




2005/07/26/Tue    またもやHe-111と遭遇

1942年3月15日

本日の作戦は、Lvanovkaの船舶を防衛する任務。
6機編隊のP-40と、2機編隊のYaK(ヤコブレフ Yak戦闘機)
計8機が出撃した。

私は高度4000まで上昇、Lvanovka上空に差し掛かると、
FW-190と遭遇、友軍機がすべて撃破してくれた。

続いて、9機編隊のHe-111(ハインケル He111爆撃機)と
護衛のBf-109の6機編隊と遭遇、私はHe-111を攻撃目標にし、
2機撃墜に成功(この模様はトラックファイルに収録

続いて、Bf-109とヘッドオンし、エンジンに被弾、プロペラがストップしてしまう。
あわてずエンジン再始動すると、見事エンジンが、かかってくれた。

機体の調子が悪いので基地へと帰還。
作戦終了となる。




2005/07/25/Mon    たまには違う飛行場へ

1942年3月10日

本日の作戦は、Beloostrovへ向かう偵察機の護衛任務である。
8機編隊のP-40と、U-2(ポリカルポフ U−2(Po−2)練習機)
1機と、3機編隊のPe-2(ペトリャコフ Pe−2戦闘爆撃機)
と、2機編隊のMiG(ミコヤン・グレビッチ MiG−3戦闘機)
の計14機が出撃である。

飛行中12時方向に、敵ドイツ軍2機編隊のBf-109(メッサーシュミット Bf109戦闘機)
とフィンランド軍の4機編隊のP-36(カーチス P−36ホーク戦闘機)
に遭遇、私はP-36を攻撃目標にして、1機目を距離780で撃破!!
2機目を、距離950で撃墜に成功する。

続いて、目的地に着くと、敵列車を発見!ゆっくり降下して、列車車両を
10両破壊に成功する。

作戦成功の知らせが入り、帰路に着くが、
基地へと帰還途中のBlenheim(ブリストル・ブレニム軽爆撃機)に遭遇
しかし、友軍機がすべて始末してくれた。
さて、到着する基地が遠い。
そのため近辺の、自軍飛行場へと向かい、無事、着陸に成功する





2005/07/23/Sat    やむなく脱出する

1942年3月5日
本日の作戦は、Lisii Nos 地域の敵空襲からの防衛である。
4機編隊のP-40と、4機編隊のHurricane(ホーカー ハリケーン戦闘機)
計8機が出撃である。私は、敵爆撃機に備え、高度4000まで上昇、Lisii Nos
空域に到達すると、12時方向に、敵ドイツ軍9機編隊のHe-111(ハインケル He111爆撃機)
と、4機編隊のBf-109(メッサーシュミット Bf109戦闘機)を発見、交差後、
攻撃目標を、He-111にして、迎撃開始!1機目のHe-111を距離880で撃墜、2機目を距離660
で撃墜する。3機目を距離220の至近距離で12.7mmを浴びせ、翼がもぎ取れ、墜落。
4機目のHe-111には、後部機銃で被弾しエンジンが完全に止まってしまった。やむなく、降下して、
高度500でBailed Out !作戦終了となる。
この模様は、YAHOO Briefcaseのファイルにトラックファイルとして
収録されています。



2005/07/21/Thu    祝!!初撃墜 FW-109

1942年3月1日
本日の作戦は、Ladoga港の船舶・設備を防衛せよとの命令。
4機編隊のP-40が出撃した。私は2番機である。離陸するとき
空襲警報がなる。敵ドイツ軍2機編隊のFW-190
(フォッケウルフ Fw190戦闘機)である。
離陸順番待ちの4番機が、撃破されてしまう。そして3番機
も、故障で、離陸できず、隊長機との2機で、出撃した。
私は、1機のFW-190を隊長機と追い、私は、高度50、距離550で
撃墜に成功!!(この模様はトラックファイルにしてあります
Ladoga上空に達すると、敵フィンランド軍9機編隊のBlenheimと遭遇、
私は6機の撃墜に成功するが、隊長機は墜落していった。
作戦完了の知らせが入り、私は一人、基地へと帰還する。
今回の作戦で初めて、FW-190を撃破した。感動・・・。




2005/07/20/Wed    なぜか帰還するP-40

1942年2月25日
本日の作戦は、敵が、Kronshtadtの港
を度々攻撃している。港を守れ。との命令。
8機編隊のP-40と、3機編隊のPe-2
(ペトリャコフ Pe−2戦闘爆撃機)と、
2機編隊のHurricane(ホーカー ハリケーン戦闘機)
の計13機が出撃した。
離陸後まもなく、飛行場へ敵フィンランド軍
2機編隊のP-36(カーチス P−36ホーク戦闘機)
が襲来!!私は迎撃に向かい、1機のP-36
とヘッドオン!距離200で12.7mm機銃を掃射し、
撃破に成功する。Kronshtadtへ向かうと、他の
P-40は、なぜか基地へと帰還していく??
私は1機でKronshtadt空域に到着。すると敵
フィンランド軍6機編隊のBlenheimが爆撃を終え、
基地へと帰還するのがMAPに出た。1機速度が
遅いのがいる。私は、それを攻撃目標にし、高度を
下げながら、目標の背後につく。距離700まで追い込み機銃掃射
撃墜に成功する。作戦完了の知らせを受け、基地へと帰還する。


2005/07/19/Tue    再出撃

1942年2月20日
本日の作戦は、Kolpino空域の偵察任務
である。6機編隊のP-40と、6機編隊の
MiG(ミコヤン・グレビッチ MiG3戦闘機)
計12機が出撃する。
Kolpino空域に達すると、12時方向に、ドイツ軍
6機編隊のJu-87(ユンカース Ju87急降下爆撃機)
を発見!低高度を飛行中。私は高度3200で交差し
スプリットS機動で、Ju-87の背後につく。
距離300で、12.7mm機銃を掃射!!
撃墜に成功!!


続いて2機目も撃墜に成功する。
続いて、FW-109の4機編隊に遭遇、これは、
友軍機が始末してくれた。任務完了で、
私は基地へと帰還する。



2005/07/18/Mon    U-2(ポリカルポフ U−2(Po−2)練習機)登場

1942年2月15日
[08:55]本日の作戦は、Dubrovka空域の制空権
を確保し、周辺都市を防衛せよ。との命令。
6機編隊のP-40と、1機のU-2、そして
4機編隊のHurricane(ホーカー ハリケーン
戦闘機)の、計11機が出撃である。
Dubrovka空域に達すると、4機編隊の
Ju-88(ユンカース Ju88爆撃機)に遭遇、
交差後、急旋回して、距離180で1機のJu-88
を撃墜、続いて、2機編隊のBf-109(メッサーシュミット Bf109戦闘機)
と、2機編隊のB-239(ブリュースターB239バッファロー)
に遭遇、1機のHurricaneが、B-239に追撃されている。
私は、そのB-239の背後を追従して、迎撃に向かう。
そして距離170に追い詰めたところで12.7mm
を浴びせ、撃墜に成功する。
U-2はのんびり偵察飛行を終え、Manushkino飛行場
へ帰還している模様。私も作戦成功の知らせを受け、
基地へと帰還する。






2005/07/16/Sat    Ju-87は、案外手ごわい

[10:11]1942年2月10日
本日の作戦は、敵の増援部隊がLeningrad周囲に展開している。
我々の地上部隊を守れ。との命令
6機編隊のP-40が出撃する。Leningrad上空で、4機編隊のBf−109
(メッサーシュミット Bf109戦闘機)に遭遇、続いて、4機編隊のJu-87
(ユンカース Ju87急降下爆撃機)に遭遇、Ju-87は、高高度を飛行していて、
上昇が間に合わない。あきらめてBf-109を攻撃目標にする。
旋回戦の後、距離510でBf-109を撃墜!!続いて距離1000で2機目も撃墜!!
次は、Ju-87だ。距離350まで追い詰め12.7mm機銃を掃射!!撃墜に成功。
作戦成功し、Manushkino飛行場へ着陸する。友軍機も3機生還した模様





2005/07/15/Fri    敵機襲来!!

1942年2月5日
本日の作戦は、敵機が我々の空域に迫っている。
との警告を受けた。
直ちに離陸せよ。との命令

4機編隊のP-40が出撃する。

離陸後、敵ドイツ軍Bf-109(メッサーシュミットBf109戦闘機)
の2機編隊と、9機編隊のJu-88(ユンカース Ju88爆撃機)
が、飛行場へ襲来、Ju-88は、私より高高度を飛行している。

旋回後、Ju-88の背後を取り、距離480で、1機撃墜、続いて
2機目を距離160で撃墜。次はBf-109だ。旋回戦の後、距離370で
撃墜する。

続いて、Ju-88を3機撃墜に成功!!
しかし、エンジンの調子が悪い。機体を確認すると、エンジンから煙が
吹いている。しかたなく自軍領地内に不時着し、作戦完了。
友軍機はすべて撃墜されてしまった。
戦果として、Ju-88を5機、Bf-109を1機撃破する。

友軍機を助けられなかったのは非常に残念だ。

参考までに、今までの出撃数・撃墜数




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