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2005/08/05/Fri 編隊長の役割とは何だろう
1942年4月15日
本日の作戦は、Razmetelevo空域のパトロールと、鉄道の防衛であった。
私は、ついに4機編隊のP−40の編隊長として、行動の決定権を持つ指揮官
となった。他に2機編隊のP−40が出撃する。
本作戦は、わたしにとって、指揮官としての初実戦となる。
編隊長になると、無線で部下に行動を、指揮することが出来る。
Tabキーの使い方の訓練にもなる。
飛行場を1番機として、離陸後、3人の部下を目的地に無線で連絡し、
行動を統制するが、なかなかついてきてくれない。ちょっとあせる。
そんななか、12時方向に1機の、Ju−88(ユンカース Ju88爆撃機)と遭遇。
私は早速、無線で攻撃命令を下す。
3機のP−40が、私より先に行動を起こし、3番機が撃墜に成功!!
続いて、9機編隊のJu−87(ユンカース Ju87急降下爆撃機)に遭遇。
実はこのとき、3番機と4番機が、飛行場へと帰還し始めていた。
私は指揮に失敗したのだ。
仕方なく、2番機と行動を共にし、Ju−87へ攻撃命令を下す。
部下を守るため、先陣切って、Ju−87の群れに飛び込む。
結果、8機撃墜に成功する(この模様はトラックファイルに収録)
その後、帰還命令を出し、飛行場に着陸する。
部下の損失は、4番機だった。飛行場へ着陸に失敗、地面に激突していた。
1942年4月になって3度、階級の昇進があった。
・4月1日 m−r へ
・同 8日 p/p−k へ
・同 15日 p−kへ
こんなに早く昇進するとは夢にも思わなかった。
2005/08/03/Wed Podpolkovnikに昇進する
1942年4月8日
本日の作戦は、Kirovskへ向かう爆撃機の護衛である。
6機編隊ののP−40と、9機編隊のLaGG(ラボーチキン LaGG−3戦闘機)
4機編隊のMiG(ミコヤン・グレビッチ MiG−3戦闘機)の計19機もの大編成である。
飛行場を離陸し、5分後、1時方向に4機編隊のFW−190(フォッケウルフ Fw190戦闘機)
と遭遇、私はFW−190の背後に食らいつき、旋回戦が始まる。FW−190の巡航速度が速くて
追うのがやっとであった。12.7mmを、有効射程に収めることができなかった。
すると、Kirovsk付近の敵飛行場から、2機編隊のBf−109(メッサーシュミット Bf109戦闘機)
がスクランブル発進した模様、7機ものLaGGが、1機のBf−109に群がるように迎撃体制に入った。
私もその一群に加わり、それを追う。
そして1機、撃墜に成功!!2機目も、LaGGと共に追い、私が仕留め、撃墜に成功する。
そして、LaGGの編隊が付近の敵飛行場を攻撃!!反復して攻撃している。
私は、それを見て、帰還することにした。なぜなら、いつのまにか、コクピットに、銃弾による
無数の穴が開いていたからだ。
無事、飛行場に着陸。
私の階級は、Podpolkovnikへ昇進した。
2005/08/01/Mon PF導入!!
PFを導入して、FB+AEP+PFの環境になりました。
ソ連キャンペーンは、引き続いて続行です。
PFを導入してきずいた点
@イントロを省略できること
A速度・高度・方位が、単位表示されたこと
B描画がきれいになった反面、メモリを食うせいか、時々、画面が
カクカクするようになった。
C離陸が非常にムズイ ラダー当ててもなかなか曲がらない
早くメモリを増設せねば・・・。
1942年4月1日
本日の作戦は、Kronshtadt港の防衛であった。
6機編隊のP−40(カーチス P−40ウォーホーク戦闘機)
と2機編隊のYak(ヤコブレフ Yak 戦闘機)
計8機が出撃した。
離陸後まもなく、2機編隊のBf−109(メッサーシュミット Bf109戦闘機)
に遭遇するも、友軍機が撃墜する。
Kronshtadt港上空に差し掛かると、同高度で、6機編隊のフィンランド軍
Blenheim(ブリストル・ブレニム軽爆撃機)と6機編隊のMorane
(モラーヌソルニエ MS406戦闘機)に遭遇!!
Kronshtadt港の高射砲の弾幕がすごい。
私のP−40は、Blenheimを攻撃目標にし、4機撃墜させる。
なおも、逃げるMoraneを追い、敵陣内に突入、すると、1機のBlenheim
が急に視界に飛び込み、後部機銃の掃射を受け、コクピットが油まみれで、
穴だらけになる。
エンジンの調子もおかしくなり、私は、Kronshtadtへ引き返すことにした。
Kronshtadt上空で、ついにエンジンストップ!
やむなく、脱出することになった。
戦果は、Blenheim4機撃墜
階級が、Maior に昇進する。