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2005/09/19/Mon 戦況の推移
私が、コンバットフライトシュミレーター IL 2 FORGOTTEN BATTLES 日本語版、
FORGOTTEN BATTLES ACE EXPANSION PACK
PACIFIC FIGHTERS を導入して、3ヶ月余りになる。
これらはロシアのオレグ開発責任者もとに開発され、UBI SOFTが発売したものである。
私が日記を記載するにあたって、キャンペーンを主とし、ソ連編からスタート
させたのは、訳がある。インターネットを介さない、IL-2そのもののゲームとしての
出来栄えを自分の目で確認したいからだ。ソ連編を選んだのは、開発責任者(オレグ氏)が
ロシア(旧ソ連)の人だったから。私が開発したゲームであれば、自分の国(日本)のことをまず知りたい
と思うのは、当然の開発動機だろう。
これらIL-2シリーズには、ライバルとなるゲームがあって、マイクロソフトが開発した
Combat Flight Simulator(以下CFS) が存在する。現在のコンピューターオペレーティングシステムの大半
を独占するWindowsを開発しただけあって、CFSは、Windows環境に適応したゲームである。
IL-2そしてCFSは、甲乙つけがたいゲームだ。IL-2はマシンパワーを必要とする、
敷居の高いゲームであるのに対し、CFSは、Windows95、98、Me、2000、XPに対応する、
万人向けのゲームだ。私はCFS2を所持しているが、太平洋戦線を舞台にした、
日本人には、興味を持ちやすいゲームとなっている。IL-2シリーズのPACIFIC FIGHTERS と
良いライバルとなるであろう。
いずれ、日記は、太平洋戦線に突入することになる。PACIFIC FIGHTERS の開発の推移を見守ることにしよう。
2005/09/01/Thu 日記 再開!!
今日、約1ヶ月ぶりで日記を再開することになった。
1942年5月1日
本日は、Agalatovo空域のパトロールである。
4機編隊のP−40と,4機編隊のYaK−1の計8機が出撃する。
離陸後、まもなくしてフィンランド軍の2機編隊のB−239に遭遇、攻撃命令を下し、
私は1機撃墜に成功する。
続いて、8機編隊のBlenheimに遭遇、攻撃命令を下し、友軍機に任せていると、
2機のBlenheimが、逃走を図った模様、1機は、煙を吐いている。
私は、煙を吐いていないBlenheimを攻撃目標にして、距離230mで、撃墜に成功!
とりあえず、落ち着いたところで、全機基地へと帰還を命じた。
私の編隊の損失はゼロ、そしてYaK−1は、2機の損失であった。
気が付いてみれば、所属する私の部隊では、私がTOPにRANKされていた。
NAMEは、OTOである。